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西村、森、高柳が池袋に集まってしょんない話をしているのをカマヤシさんに文字起こししてもらったものを掲載します。
非常に面白かった回だったので。




こんばんわ昼柳です。




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《音楽とは違う業界から…建築家的に振る舞う》



た:今むっちゃオカネあって、時間もあったとして…「何する?」って言われた場合、どうする?

に:それって「出来ること」?

た:いや、出来る事でも、やろうとすることでも。

に:となると…「音楽」になる。今現在、拘束時間がほぼ24時間で、日曜日さえもない。たまたま今日は休日やったけれど。で、さいきん「音楽に触れる」っていうのはipodで他人の音楽を聴く位なもので…色々考えたりもしてるけれど、それを実践する機会がない。だから(現状として)理論と方法論を考えるしかない。でも「バンドは実際に練習してナンボや」とか「ライブハウスで名を上げていく」っていう、いわゆるミュージシャンのポピュラリティーの勝ち取り方っていうのがあるやん?それが出来なくなった人っていうのは、けっきょく休日に実践をしてオッサンになっていって、何の理論も方法論もないままに、単なる趣味としての「日曜ミュージシャン」達が渋谷に溢れかえってる。…そうじゃない、と。
 そうならないようにするには、理論と方法論を今のうちに蓄えておかなければならない、という発想の転換にあって、まったく楽器も触ってないのに理論ばかりどんどん蓄積されていく。…で、まだ固まってないんやけれど、ある程度「二項対立」が出てきて、それを突き詰めてから実践に移していくと、ただ単に「叩き上げ」で出てきた人達とは全然違うものが出来るんじゃないか。でも今のところ「叩き上げ」系の人しか音楽業界にはいなくて。で、音楽なんか模範のマーケットやん?そこに理論と方法論をコンセプトとして提示して、実践に移すっていう前例を僕は知らない。…たとえ居たとしても気付いてないというか、そこまで声高にマニフェストしている人はいないから。…で、そういうことを今やろうとしている。

た:そうすると(西村さんの)「個人技」にならないですか?

に:違う。だから、今の状況とか…「相対性理論(バンド)」が自らの「相対性理論」性をメタに視ていることはないと思う。だからメタに表現する人っていないから。批判的なものが出来ると思う。で、森さんとかまやしさんに(西村さんの理論を)インプットしてもらって、ある程度、情報を共有化して、共通知としてやっていくと、これまでとは全然違ったライブが出来る予感がする。「演者/観客」とか「みせる/みる」の関係であったりを操作…操作というか、その関係を冷静に眺めている人は(他に)いない。これは、現代社会にパンクを表現する人には判らない(笑)。(表現には)内的要因と外的要因とがある。僕は外的要因だけでやっていく。音楽は内側(内的)から発信するものではない。

た:そうやね。でもそうなると、マーケットを意識した自らの動き方以外の方法が想像つかない。やっぱり場を踏まないといけない。結局、大手(レーベル)のやっていることに迎合するようなかたちでやっちゃうと、さっき言ってたことと全然違う方向になっちゃう。それ以外の方法論っていうのは…?

に:だから、この理論をマーケットとして捉えない方法っていうこと?…あっ、マーケット以外の標的をつくるにはどうしたら?…という感じ?

た:だから、同人的につくるわけじゃないから…。

に:マーケットを、別の勝ち取り方で――

た:――新しいマーケットをつくる、ということ?

に:そうではないけど、音楽の持つマーケットがファンとか、ファンっていうか…共有できるというか「売る側」と「買う側」のタッグみたいな仕組みがある。それが例えば「誰かがバンドをピックアップして世に売り出すっていう」もの。そうじゃなくて「名刺を持って廻る」とか(笑)だから、音楽とは違う業界から…建築家的に振る舞う。うちのボスが言ってたんやけれど「メディアで突出する」っていう。(ボスは)メディア操作が巧すぎて。彼のフリーペーパーって(建築界において)完全に「事件」。こつこつと実績を積んでからメディアに出ているのではないから、作品ではなくて「理論」を買われている。(だから音楽においても)そういう方法があるのではないか、と。バンドなのに「身体表現」とかの話に持っていくというか…。

た:音楽のスタディを並べる感じで?

に:そうそう。成果というよりは、プロセスを提示して…「こうですよ」と。で、「これをやっているのが◯◯ですよ」とメディアを通じて表明して…パラレルにやっていく。

た:完成したものだけを提示する、というのではなくて、音楽それ自体を考察する。考察して、つくる。

た:そう。音楽を考察しているバンドなんて居ないから。音楽の議論というのは完全に遅れていると感じる。なにも議論されていない。

に:まあ、議論の必要がないと感じている現状もある。例えば「4つ打ち」が好きでノれたらいいっていう人達も大勢いるから…議論するのがバカらしいのかも。「好き/キライ」っていうのに対して「他人は他人だよ」って解決したほうが断然楽チンだし、そこに変なカタチで啓蒙思想めいたものを組み込むのがナンセンスだとする見方もある。

に:うん、だからみんな音楽が好きなんよね。でも、そのことを特に主張しない。音楽がむちゃくちゃ好きで、自分の生活をも制御している…「音楽のアーキテクチャ化」(笑)が起こっている人は、無視。その人たちは別に聴いたらいい。でも、一見聴いている風の人に「普段どんな音楽を聴いているんですか?」って訊いたときに「チャットモンチーです」みたいな…普通のことを言う。どれだけ高度な知識を有する職場、環境に所属していたとしても、それを音楽にシフトしたものを聴いているワケではない。そういう人達が聴いている音楽としての物議。

た:あー。議論の肴になるような。

に:うん、でも肴にならないような媒体ってない…筈なんやけれど。音楽に関してはなってない。なんで?って感じ。

た:メンバー個人の歴史とかコンテクストについては語ったりもするけれど…音楽性については語らない。

に:何でだろう?…まあ、日本のマーケット、というよりも全世界的にそう(いう傾向がある)。そういう音楽って池田亮司(音楽家)とか「ダムタイプ」とかで身体表現とか――そういうのは好きではないけれど――ヤマタカEYE(ボアダムス)もさ、現代アートを昇華しているワケやん?ああいう音楽を享受することができる人って、論があっても「なるほど」となってくれる筈…かなり少ないマーケットやけれど(笑)情報リテラシーと等価に並べられる、音楽リテラシーも。…でもそういう人ってクラシックとかジャズとかだと雄弁に語るんだけれど、その地点で停まっている。現代をなぜ無視するか?っていう。まあ、だから(僕は)現代音楽としてつくるんだろうね。

た:(音楽を)「設計」していくわけですね?そうなるともう「音」として、とかえはなくなりますよね(笑)「音」は鳴らなくてもいい。バンド内の配置のスタディに悩むっていう…中学生が自分のサインに悩むように(笑)。



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《タイポロジー/スタディ》



に:でも、それを「スタディ化」することはするけれど…うちのボスがいうのには「検索過程」と「比較過程」っていうのがあって、前者はあるタイポロジーを試しまくる。battlesやボアダムスに見られる各々の楽器の配置みたいに、そういうタイポロジーを試す必要があって…いま考えているものとしては「Lightning Bolt」っていうバンドがいて、彼らは前のバンドが終盤に差し掛かってきたら客のフロア内でドラムセットを組む(笑)で、そのまま演奏して観客がダイブしてドラムがガッシャーン!って(笑)。…でも、その考え方は、単にドラムがフロア内にあるという特異性だけしか表現していない。でもそこに理論があると――たとえば「演者」と「観客」の関係をフラットにするみたいな理論を組み込めば――配置に意味が生じる。そういう部分にまで言及しているのはあまり聞いたことがない。建築的に振る舞う。

た:「観客」側として考えてみた場合に面白いだろうと思うのは、バンドの配置によってどういう聴こえ方をするか?っていう想像ができるほうがいい。

に:建築のタイポロジーと似ている。

た:空間それ自体を創造するのではなくて「音のある」空間。「空間×空間」を創造する。

に:今こうやって喋ってるけれど、今考えたことを(即興的に)喋ってるからね。こうやって蓄積していくと話が前進する。そして録る、と。非常に有力な勉強会(笑)…で、今思ったのが、フロアの後ろにあるバーカウンターに森さんを配置する。で、俺らはステージの上にいながら三角形のシステムをつくって「場」を生み出す。このタイポロジーをスタディ…(笑)スタディね。

た:面白い。

に:面白いけれど、そんな試みは単に「突飛」っていう見られ方しかしないと思うけれど、発表していくと――

た:でも、突飛かどうかは(こちら側の)デザイン力じゃないかな?

に:でも、そのデザイン面においては…僕がデザイン事務所にいたから…コンテクストを読まれ易い。でも、そういうメタ視点からアーキテクチャを変えていくっていうのは、コンテクストを有効に使っている。

た:バンドも(現在の)3人だけではなくて、たまたま道中で出会したヤツを配置する。そいつをドコに配置するか?

に:それむっちゃ面白い。観客の入場時に番号札を手渡して、事前にフロアに描いてある円形に沿って「10番の人はここから動かないでください」って(笑)バンド側のスタディではなくて、観客の配置のスタディをして踊らされる…「踊らされる」って(笑)それはインスタレーション超えてるなあ。

た:観客それぞれの動きの傾向を把握して配置する。「モッシュ大好きなんスよ」って言うヤツはそいつの動きを予測して配置する(笑)…まあでも、それが実現するのは可能性は低いけれど、プロセスとして捉えてみて完成図を考えてみた場合、もし僕が番号札を渡されて誘導されたときに何らかの指示を受けているだろうから「演者」と「観客」の完結性が曖昧だし…何より番号札もらった地点で若干、緊張してしまうよね?自分のコンテクストを完全に読まれて配置されてるわけやから(笑)

に:いやーでも、そういう配置は完全にアーキテクチャやからなあ。リアルな表現とヴァーチャルな創作表現とがリンクする…凄まじいね。反工学主義ではなくて、いわゆるポストモダン…既存の概念を再構築するっていう、特に新しい楽器を使うわけでもないし、既知のものの組み合わせによってぜんぜん違うものが――

た:でも、それは(実際に)やってみると面白くないだろうから。スタディだからこそ面白い。(それらを)まとめて1つの作品として提示するときに、面白くなる。だから僕はポストモダンとは思わない。再構築している、とも思わない。

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